投稿日:2011年5月25日 12:00 am


復興支援のために何かしたい、
役に立ちたい、ボランティアの皆さんと
したいけど単独では生活がおろそかになりかねない農家とで、
市内の遊休耕地を使って、
東北ではあまり作付けされない甘藷を生産し、
市内の小売店に置いてもらったり、
飲食製造業者の方に使ってもらったり、
などしてお金に換え、復興支援の為の
支援金を生み出そうという企画。
(諸材料代を引き、全額寄付。)

遊休耕地の解消、地産地消への貢献、
土と、人とふれあったり、農を学べたり、
それでいて、微々ですが復興支援の
ためになることもできる。

農業者にできそうな、
一本の「いいね」の蔓を引っ張ったら、
みんなのいろんな「いいね」が付いてきた!!
それが、「ちがさき芋づる式いいね!計画。」


自分以外の誰かを思い、行動をすることで、
へなちょこだった私は、少しずつ強くなってきました。

「希望というのは誰かが居てこそ生まれるのかな」
と最近、何となく思っております。

この計画は、昨日までの自分を笑う為の計画でもあります。
さぁ、いくよっ!

投稿日:2011年5月13日 1:07 am

できる。

でも、
どうせやるなら100や200じゃな
一応プロだし。

まぁ
1000、2000だな。

でも、
うちの畑じゃキャパいっぱいだ。

遊休耕地!
いいね。

サツマを当地でやるなら
植え時終了まであと約1ヶ月。
急がねば

即役所に電話。

次は人手。
温度差がモロに出るようなのは困る。

先ずは
朝市会役員の2名。

快諾。
やらせて下さいとお願いされたくらい。
ありがたいな。

でも、
自分も含め他の農業者の生活に支障を来すような事も避けたい。

一般の方にボランティアを頼もう。

あ、そうそう。
園芸講座2年目を受け持って、
教えるのにも慣れてきた。

学びながら、農に触れ、復興支援のためにも働けたら、
そりゃいいね。

よし、その方向で。


で、芋ができたとして
どーん、と贈られても迷惑だな。
ここは大半8割は金に換えるべきだ。

一部は朝市会場。
地元の市場を介して賛同してくれる八百屋さんと

あとは
再び役所に相談。
学校給食ってどう?(問い合わせ中回答待ち)
公益性の高いものは売店なりで販売か?(問い合わせ中回答待ち)

同時に畑確保の返答。
ナイス!GJ農業水産課。

数日後、
今回の企画について、
市も積極的に協力したいと連絡が入る。

よし、7割算段が付いた。
いけるぞ。

そうなったら、
直ちに苗の確保。

さぁ
企画の周知とボランティアの募集、
市内の飲食製造業者にも相談。


動き出したっ。

ナンの徳もしないんだけど、
わくわくしてますっっ

☆まとめ☆

茅ヶ崎の農家が遊休耕地を使って、
東北ではあまり作付けされない甘藷を、
復興支援に役立ちたいボランティアのみんなと
学び、ふれあい、分かち合いながら栽培し、

できた芋は、
市内の小売店に置いてもらったり、
飲食製造業者に使ってもらったり、
学校給食に使ってもらったり(仮)して、
大半をお金に換え、
迷惑にならない程度の芋と一緒に被災地に贈る。


「茅ヶ崎芋づる式いいね!計画。」

始動!

投稿日:2011年5月12日 11:49 pm

近況①でお話しした元弱虫コゾウのではあるが、
基本的に積極的な人間ではないので、尻込みしてたと思う。

でも、
近況②でお話しした思いがずっと引っかかっていた。

引きずったまま生活しているのは、
それなりに悩めるものだった。

身の回りの生活を壊す事はできない。
と言うか、それはそれでやってはいけない事。
家族に対する責任と言うのもそうだし=やはり、「自分はかわいい」である。


ずっと引っかかってたんだな。


なにかできる...
なにかしたい...
なにかできる...
いや、なにかしよう。

出来る事。


最近、仕事(農業)のテーマとしているのは、
「野菜に出来る事。」だ。

曖昧でよく分からない感じにしたのは、
「無限」という曖昧でよく分からないものを追っかける為だ。

野菜に出来る事...

知識、経験、技術、人、金...

...東北...復興支援...みんな...

あ゛~~~...


芋!?

さつま芋!
さつま芋!!


さつま芋は東北であまり作付けされない。
葉物などに比べれば保存も利き、
一冬なら有に売れる。
何点あるポイントさえ押さえれば、
素人にも作りやすい。

なるほどねぇ。

投稿日:2011年5月12日 11:11 pm

で、
この度の震災。

大変、
多くの方が亡くなられた。

僕は、
この亡くなられた方々について考えた。

薄れゆく意識の中で何を考えられたのだろうか。
自分の身に起きたら何を考えるだろうか。

最初は死の恐怖に包まれ、
必死に生きたいと思う。

奇跡でもない限り
助かりはしないだろうと
死を受け入れた時
僕は多分、願うと思う。

自分以外の人、
妻、子、親、友...
死に別れてしまう人々の無事と幸せを

僕はこうして逝ってしまうけど、
あなた方はどうぞご無事でありますようにと


そんな気がするんだ
率直に





(注:今回は配慮無く胸の内を率直に綴っておりますので、
不快な表現があるかも知れませんがご容赦下さい。)

投稿日:2011年5月12日 10:55 pm

「誰かのために」なんざ、
10年前には考えもしなかった事を今は平然と言えるのだから、
僕は一体どうしてしまったんでしょうか。


嫁さんもらって
子供を授かり
子供を授かり
また、
子供を授かり
子供を授かった
かと思えば、
さらに
子供を授かった。

僕は自分だから、
自分がどれほど弱虫コゾウだったかをよく知っている。

今はそうでもないようだ。

でも、
多分一人になるような事になったら
また弱虫コゾウに戻るだろう。

それも何となく分かる。

どのような状況でも
常に自分を保っていられるのが強い人なのかも知れない。

僕は誰かが居ないと
自分を保っていられない。

でも、
それはそれでいいと思っている。

家族や仲間や僕を思ってくれている人が増えた
今の僕は結構強い気がする。

ある種、思い込みみたいなものだ。

この思い込みが結構力をくれるので、
かなり重宝している。
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